#Exchange letters between Len Kusaka
第2の手紙
この文章は、小説や詩といった領域の分断に縛られない、二者のあいだにたつ文章表現をされている久坂蓮さんと2021年の8月からつづけている往復書簡です。久坂蓮さんからの手紙はこちらで読むことができます。
第2の手紙
お手紙をありがとうございます。
私は今、フライトへ向けて絶賛準備中です。チケットは、9月2日の朝に大阪の伊丹空港を発ち、現地時間で9月2日のお昼3時にヘルシンキのヴァンター空港へ着きます。朝に日本を出てお昼に着くなんて、少し変な感じがします。
かばんに何かとても大事なものを入れ忘れている気がしますが、それが何なのか分かりません。向こうに行ってから気づくのだと思います。
旅に出るとき、いつも一番悩むのはどの本を持っていくかということです。今回も悩みに悩んでいます。6冊ほど選んだのですが、本当はまだあと6冊ほど持っていきたいです。母親に、「もし向こうで本読み終えたら連絡するから新しいの送って。」と頼んでみたのですが、「そんなんやめて。面倒やから嫌やわ。」と言われました。
さて。久坂さんからいただいたお手紙の中にトーベ・ヤンソンについて書かれていましたよね。私が一昨年、フィランドへ旅したとき、美術館でトーベのフレスコ画を見ました。そこには、彼女の愛した女性が、他の様々な人々と同じように背景に混ざって描かれていました。
最近になって、なぜ芸術家たちは、作品をつくってそれを残そうとしてきたのか疑問に思うようになりました。後世の人に見てほしいから、自分の生きた証を残したいから、などの理由を推察できますが、そのどれもに何となくのしんどさを感じてしまいます(たまたま残っ
たから、という人ももちろんいるのだろうと思いますが)。
でもこんなことを言いつつ私も作品をつくっているのだから、大した矛盾です。けれど、残されたトーベのフレスコ画を見て私は勇気をもらったのだから、作品を作る/作品が残る/それを見るということは誰かを励ますようなことでもあるのかもしれません。
答えが出ないので、話を変えます。
私たちは、実際には一度も会ったことがないのにこうして文通することになった不思議な関係ですよね。でも私は画面を介してあなたを拝見したときからお話がしたいと思っていました。それがなぜなのか考えてみると、久坂さんになら私のことを話せる、と感じたからだと思います。それが日本とフィンランドという距離のなかで文通をすることになるとは思ってみませんでしたが、こうしてやりとりできることをとても嬉しく思います。
「うけとり人の不特定性」とあなたは書きましたね。
私も久坂さんについて知っていることはお名前と、作品くらいなのですが、どうしてこの人になら話せると思ったのでしょう。本当に不思議です。文通をすることで久坂さんという存在がより明確になってくるのでしょうか?それとも像を結ばないまま、この名づけえぬ交友関係をつづけていくのか、何にせよ楽しみです。
今後もこのように取りとめのない私の思考を送らせて
いただきます(いいでしょうか?)。
フィンランドに着いたら、また連絡します。
8月31日乾真裕子より