MAYUKO INUI

#Exchange letters between Len Kusaka

第4の手紙

この文章は、小説や詩といった領域の分断に縛られない、二者のあいだにたつ文章表現をされている久坂蓮さんと2021年の8月からつづけている往復書簡です。久坂蓮さんからの手紙はこちらで読むことができます。

第4の手紙

お手紙をありがとうございました。フィンランドに着いて、あっという間に二週間近くが経ってしまいました。たくさんのことが起こりました。何からあなたに伝えたらいいのか分からないまま、この手紙を書きはじめています。

まずはいただいたお手紙のお返事から書こうと思います。船便の手紙について触れてくださいましたね。私も航空便より船便の方が私たちのやりとりに合っている気がします。どこへたどり着くのかも分からず、さして喫緊の用もなく、ふわりふわりと揺れながら時間をかけて届けられる手紙が、私たちの手紙のような気がします。あなたの文章を読みながら私の頭の中に、貨物室で揺られながら便箋の中から抜け出していく文字たちのイメージが浮かんできました。とても心地いい文章でした。

持っていった本についてですが、飛行機に乗っているとき、その本を開いてみました。女の子が一人、ある映画女優に導かれ、その存在を追いながら旅をするお話です。今の私にぴったりだと思ってこの本を選びました。
彼女は、ホーチミン市、別名サイゴンの学校に通っていたのですが、⻘年大会に出るため、東ベルリンへ一人で旅立ちます。ベルリンに着き、ホテルのテーブルで晩ごはんを食べているところに、ある⻘年が話しかけてきます。
会話を続けながらウォッカをたくさん飲んだ⻘年は、部屋へ戻ろうとする彼女に、車に乗って⻄ドイツにあるボーフムへ行こうと誘います。同じく酔っ払っていた彼女は、気がつくと見知らぬベッドの上にいました。ボーフムにある彼の家の中でした。帰りたいと彼女が泣きわめくと、⻘年は、ボーフムには空港がないから外国へは行けないよ、と言いました。

ここまで読んで私は、どうしてこの本を持ってきてしまったのかと後悔し、自分がこれからどうなってしまうのかと考え、寒気がしてきました。私は、小説の中で起こったことを小説の中で起こったことだと思えない癖が昔からあります。物語の中で誰かが理不尽な目に遭っていると、現実の私の心が燃えあがってくるのです。そしてそれは現実の何かで消すことはできない。物語の中で彼女が救われないと私も救われないのです。彼女に感情移入するというよりは、ここに描かれているのは私だと、心からそう思ってしまうのです。結局彼女はボーフムの⻘年の家から出て行くことができるのですが、今はその少し先で読書が止まってしまっています。とりあえず、彼女がボーフムの家から出ることができて本当によかった。

⻑々と本の話をしてしまいました。あなたと初めて画面上でお話したとき、あなたは「言葉の音」について話してくれましたよね。音の響きやリズムについて。
フィンランドの大学では、授業は英語で行われていて、クラスメイトもみんな、英語で話をします。今、その音の速さに私は全くついていけていません。

こっちへ来て二週間くらい経って、考えないと言語が出てこない状況って何なんやろう?ってなってる。日本語は意味なんかよりも先に言葉としての音が口をついで出てくる。なのに英語になると音が続かず、アイ、アイジャス、、アイジャスワナ、、みたいにぽろぽろなる。

これは私がiPhone のメモに書いた言葉です。書いてある通りなのですが、日本語を話すときに私たちは意味を考えるなんかより先に音を発していると思うんです。このことについて話そうと思うなんかよりも先に口から音が出ている。でも、慣れない言語だと全くもってそうはいきません。まず頭の中で文法を構築し、その音を正確に口で発さなければいけない。それが正しい言葉として相手に認識されて初めて、ようやくあちらに届きます。言葉を伝えるというのはこんなに段階が多いものなのかとびっくりしました。

最近はこのやりとりに早くも圧倒され、慣れ親しんだ日本語にばかり触れてしまっています。こちらへ来てから読んだ日本の漫画の話をします。

そこには、主人公の女性が自分のセクシュアリティについて考えているときに、幼い頃に読んだ絵本を思い出すというシーンがありました。その絵本は、仲のいい動物二匹が大きなパンケーキを焼いたりして、何気ない日常を楽しく過ごすというような内容です。

私はこのシーンを読んで、自分の最も深いところで、私が何を求めているかに気がつきました。思い出したと言った方が正確かもしれません。私は、自分のセクシュアリティというものがどこに落ち着くのか、どんな言葉でなら言い当てられるのかずっと分からないでいました。

でも、とても仲のいい大好きな友達とずっと一緒に過ごしたい、同じ家に住んで、気分がいい日は二人でパンケーキを焼いたりなんかして、ずっところころ笑いあっていたい。それ以上の幸せを、今の私は想像できません。

数ある国の中からどうしてフィンランドを選んだのかと聞いてくださいましたよね。それに対して、「ジェンダー平等の国を知りたかったから」というお答えが一番簡潔なのですが、それに加えて本当は、遠い場所に行って自分が何に囚われていたか知りたかったからと言えるかもしれません。
そういえば、この国に着いて一番最初に、トーベのフレスコ画を見てきました。作品をぼんやり見ていると、とても仲が良さそうで背格好も似た二人が、手を繋ぎながら私の前を通りました。
この国で暮らすことで、私の奥底にある気持ちを伝えられるような人間になれたらいいなと、家までの道を歩きながらぼんやりと思いました。


九月十九日乾真裕子より